百貨劇場
札幌時代に所属していた劇団は自前の小屋を持っていた。
“持っていた”といっても賃貸で、週の半分を劇団が借り、残りの半分を地元の合唱団が使用していた。公演時には一週間から十日、ぶっ通しで借りることになるので、合唱団と交渉し、折り合いをつける必要がある。
そうして行われた公演の、写真の一枚が、これ。
元は鉄工所か何かだったらしいく、けっこうタッパがある。外階段を上った二階に、劇団と合唱団の事務所があり、二つは入口が靴箱で仕切られていた。共用のトイレと台所があり、水道からホースで水を引いて、舞台に雨を降らせたこともあるらしい。
最大の難点は舞台奥に出入口がないこと。
壁の高いところに換気用の小さな窓があるのみ。
だから客入れが始まってからの役者の舞台への出入りは、壁によじ登ってその小窓から、まるで泥棒みたいにしてやるよりなかった。
楽屋なんて、もちろん、ない。そんなものは“芸能人”が優雅にくつろぐ場所だと思っていた。
客席は雛壇の桟敷で“常識的”には50人、“よいしょ”と無理して80人、写真の芝居では、さらに無茶して、100人近く入れていたと記憶する。
私は舞台上で軽く酸欠になった。
何もかもが手作りで、たとえば灯体を吊すバーは、垂木に黒ペンキを塗ったのを、鉄骨の梁に渡してある。
舞台奥の暗幕は黒いゴミ袋をセロテープでつなぎ合わせて大きな一枚物としたものが吊ってある。
客席の隅に、これも手作りのオペ室があり、演出家自ら音響のオペをしていた。
装置はもちろん、すべて劇団員のタタキによる。
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