2017年1月21日 (土)

教育支援


「どんなに貧しい家庭で育っても、夢をかなえることができる。そのためには、誰もが希望すれば進学できる環境を整えなければならない」
 
そもそもそういう発想でもって全国に国公立大学が設置されたんじゃないかと思うんですよ。工員の息子である私は私立大学をひとつも受験してません。保育園から大学までずーっと公立。
「学習意欲」なんてとくにないですよ。遊ぶことしか考えてない。だから成績は決して良くなかった。せいぜい中の上ですよ。上の上であるコニタンなんかと大違い。東大なんかとても無理ですが、それでも地方国立大くらいには入れるんです。そういうふうにできている。
 
でね、私はこんなことを思った。
たとえば私のいた頃の北大は学部募集じゃなくて入学後に学部が決まったの。入学時は文1、2、3、理1、2、3て感じ。医学部、獣医学部、水産学部はたしか別枠でしたけど。
「移行」とか、こまかい制度はもうちょっと忘れましたけども、とにかく1・2年は全員教養部だったわけ。
 
この教養部の定員をうんと増やしてやればいいんじゃね? 
札幌東・西・南・北高校の生徒が望めば全員入れるくらいにしちゃう。で、教養部終了(修了)で一区切り。この時点でストレートなら二十歳だ。
さらに学部に進学したい人は、それぞれ文学部なり法学部なり経済学部なりを受験すればいいし、したくない人はそこで終わりにして就職するなり、なんなりすればいい。
この段階でそれなりの人数に絞り込む。
これを全国公立大学でやれば「誰もが希望すれば進学できる環境」になるんじゃね? 財源? 聞いたこともない私大への助成金をやめ、使い物にならない教員のクビを切ればいいんですよ。それこそ「叩き斬ってやる」わけ。
 
18歳から20歳まで教養部でしっかり学ぶ。私はこれをしてこなかった。だから「教養」がないわけです。あんまりものを知らなくて我ながらヒクときがある。後悔してます。
それから、学部2年は短いよ。専門的なことなんか何も学べない。あと2年、ストレートでいって24歳で卒業でよくね? 卒論くらいは全員書こうぜ。私は書いていませんが。

| | コメント (0)

2017年1月10日 (火)

放射能パニックからの生還=ある主婦の体験から — 自らの差別意識に気づいたことが覚醒の契機に

http://www.gepr.org/ja/contents/20120507-03/gepr.pdf

私は44歳です。数年前から幾つかの大きな壁に直面して、困惑していました。まず自分の年齢により、容姿とスタイルが明らかに劣化しています。「おばさん」として社会から扱われ、自分もそう見ている。この現実が受け入れられませんでした。

そして仕事の問題がありました。大きなことをして世間をアッと言わせたい。長年そんな願望がありました。けれども、何もできていません。他にも子育てや人間関係など悩みは一杯ありましたが、どれも解決の見通しは立っていませんでした。自信を喪失していました。「心に大きな穴」というか、絶望めいたものがあったのです。

そんなときに、放射能問題によって、すべてがリセットされて、一から人生をやり直すことができるのではないかという思いが起こったのです。破壊の中に救いを求める気持ちです。私が震災情報に夢中になったのは、それが刺激的で、これまでの人生の悩みを忘れる事ができるほどのものであったためです。

私は役割を得たとも思いました。思うような人生を歩むことができない事を、社会のシステムの責任にしていました。「原発」問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい「悪」はありません。「反原発」を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされました。自分のパニックの背景に、「自尊心の維持」があったと、今になって思います。

 

こんな風に自己批評の働く人はまだマシで、こじらせて、すっかりカルトめいてしまった者もある。

非常に現代的な問題なので、社会派の劇作家が芝居の題材にしたらいいと思うのだが、実際に彼らのしていることは、少なくとも私の知る限り、むしろこうした「悲劇」を助長することばかりだ。

やれ福島の状況はチェルノブイリよりヒドイだの、それが報道されないのはなんとかムラの力だのという妄想を垂れ流し、誰かをスケープゴートにすることで己の正義を強調する。この三年間、何ら学ぶこともなく、いまだ積極的に「差別」に荷担しながら善人ヅラしてるのだから恐れ入る。

| | コメント (0)

2017年1月 9日 (月)

科学者が放射能騒動に関わらなかった理由

http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/66459413.html
 
「歪んだ正義感」や「「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気」で、ノイジーマイノリティのヒステリーが専門家を黙らせた結果、大衆の多くは有意な情報を得る機会を奪われた。
リスクを「正しく」=「適正に」恐れる必要を、この「歪んだ正義感」の持ち主たちは、まるで理解しない。“事実を知りたい”というポーズをとるくせに、その実、決して学ぼうとしない。せいぜい自分の思い込みを補強するのに都合よさげな知識だけを仕入れ、それで耳目を閉ざすから、専門家がどんなに正しく情報発信に努めたところで徒労に終わる。
発信器が優れていても受信機がぶっ壊れていたんじゃ話にならないというわけだ。
「「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気」に浸り、場当たり的に善人ぶるから自己矛盾に陥るのだ。振り上げた拳を正当化するために都合良く他人の言説をコラージュするから、論理的整合性などありはしない。
たとえば「東京五輪招致」に、放射能汚染を理由に反対の声を上げたその口で、被災地の風評被害を嘆いてみせる、あの連中を思い出せばいい。
彼らは自ら被災地への差別と風評被害を助長しながらその自覚がない。自分の論理が矛盾していることにすら気づかない。そうしてワイドショウばりの短絡的な「物語」で「絶対悪」を作り上げては、それを叩くことで、おのが「正義」を担保しようとする。
上記リンク先の記述にもあるように、一時期、放射線による影響で畸形が生まれたというデマが流された。
そもそも畸形はどんな環境でも一定数生まれるので、それが放射線由来であるというなら、因果関係を示す客観的根拠が示されてしかるべきだ。
だが、そんなものはありはしない。何が根拠たるかすらも彼らは理解できていない。ただ放射線の恐怖を強く「印象」づけるのに、出所も怪しいグロテスクな奇形児の写真を利用した。これをSNS等で拡散し、ファナティックに恐がって見せれば、「問題を憂慮する善人」のスタンスで、社会問題にコミットしているとでもいいたげだ。
こういうバカの「お祭り騒ぎ」により、被災地は風評被害による経済的ダメージを受け、また実在する奇形児たちの人権は傷つけられたのだ。「ブーム」が去っても、何ら総括されることがなく、だからいつでもまた同じことが繰り返される。
バカに限って動機の純粋性を強調したがるが、仮に動機が“純粋”であったとしても、そんなものは免罪符にはならないのだ。
騒ぎに乗じた連中は、差別主義者の片棒を担いだのだと知れ。
そして何より、この差別主義者たちの中に、日頃「人権」を声高に口にする演劇人の多く含まれることを、私は劇作家として記憶しておく。

| | コメント (0)

サンプル

原発の是非と被災地の放射能リスクの問題はまったく別の話だ。
教条的な左巻きどもはともかく、なぜ一般の人までが、いつまでも両者を混同したがるのか。
ある生物学者は「WBCなんかしてるからだ」という。

確かに私のような素人の目にも、検査に意味があるとは思えない。けれども、と私は思った。人は理屈だけでそう簡単に割り切れるもんじゃない。〈雨乞い〉の儀式を科学的に無意味だといってみたところで、それこそ無意味だろう。WBCの検査によって、「万が一」の不安が被災者から払拭されるのであれば、それはそれでいいではないか。

だが、これがそんな単純な話ではないというのだ。
甲状腺癌が放射線由来のものであるか否かを科学的に確定するには、当然、対照群が要る。そのためのサンプルとして、ほんらい無用な検査を他県の子供にまで強いることなる。
〈雨乞い〉と異なり、WBCはなまじ「科学」の顔をしてるので、そうなれば「そらみたことか」と、またぞろ左巻きの偽善者どもがこれを曲解し、イデオロギー闘争に利用する。
子供のためなどと言いながら、子供に「呪い」をかける。

なるほど言われてみれば確かにそうだ。
あの連中は決して学ばない。そのことをこの6年で私は学んだ。演劇界の片隅にいると、そのてのサンプルには事欠かないのだ。

| | コメント (0)

欺瞞

古い記事だが再掲しておく。

群馬県に建設している八ツ場ダムの完成時期が現行計画の2015年度から4年遅れることになった。同ダムを巡る民主党政権時代の迷走を受けた結果だ。

工期を見直すためにはダムの基本計画を変更する必要がある。国土交通省は事業費の一部を負担する利根川水系の1都5県から意見を聴取するなど、計画変更に向けた手続きに入った。

すでに今年度に入ってダム本体の建設に必要な関連工事を再開している。来年度にようやく本体の工事に着手する方針だ。

完成は19年度になるものの、事業費は約4600億円と現行計画のままで据え置いた。八ツ場ダムの建設費は当初の計画と比べると2倍強に膨らんでいる。すでに事業費の約8割は執行済みだが、工事の中身を精査して計画の範囲内に収めるのは当然だ。

それにしても、民主党の迷走は何だったのかと改めて思わざるを得ない。09年に政権についた直後に八ツ場ダムの建設中止を表明したものの、地元の反発やダム事業の検証結果などを踏まえて結局、撤回した。結果的に時間を浪費しただけだった。

一般論でいえば、自然環境に様々な影響を与えるダムは造らないで済むならばその方が望ましい。しかし、それは洪水を抑える治水、水道水や工業用水を供給する利水の両面で、合理的な代替案があることが前提になる。

八ツ場ダムについては関係する1都5県が一貫して早期完成を求めている。ダムに反対する住民グループが水需要の将来推計は過大だとして公金の支出差し止めを求めている訴訟も、「需要予測は不合理とはいえない」と住民側がすべて敗訴している。

「ダムは中止」と表明しただけで済むような問題ではないことは最初からわかっていたはずだ。調査が始まって60年以上がたつ八ツ場ダム事業で計画が変更されるのは今回で4回目になる。地元住民の生活再建を進めるためにも、早期に完成させるしかないだろう。(日経新聞)

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58516980V10C13A8EA1000/

〈それにしても、民主党の迷走は何だったのかと改めて思わざるを得ない。〉などと、しれっと書いてるが、さんざん煽ったマスコミ自身がまず総括しろと言いたい。
脱ダム=絶対善、みたいな情緒的ポピュリズムで国の政策を推し進めるから、こういうことになる。
思い出すがいい。堤防だって事業仕分けで「廃止」が決定されたのだ。
〈「ダムは中止」と表明しただけで済むような問題ではないことは最初からわかっていたはずだ。〉と記事は書く。しかしそれがわからぬ政治家であり、国民なのである。

民主党政権のパフォーマンスを「画期的」であるとマスコミと一体となって過大に評価し、拍手喝采した国民がいる。マンガチックな国家観のもと、民主党=善/自民党=公共事業=ゼネコン=悪という構図をつくり、その上にあぐらをかいた。そうしてさえいれば誰からの批判も受けず、ただただキレイゴトを口にして「善人」でいられるというわけだ。
そしてうまくいかなきゃ政治家の責任。
その政治家を“誰が選んでいるのか”は不問に付したまま、平気で「民主主義」を口にする。
この恐るべき「お客様」根性!

この構造は東日本大震災後にもしっかり温存されている。
単純な善悪の二分法によって「絶対悪」とされた東電。
これを貶めるデータを提供しない学者に対しては「御用学者」のレッテルを貼り、思考の領域から排除する。
そうして国民は、デマの吹聴と奇をてらったパフォーマンスで知られる元俳優なんぞを国会に送り込んだというわけだ。

もし彼らの信じる“深刻な状況”が「事実」であるならば、そんな汚染された土地に住んでちゃいけない。そこでできた農作物など流通させてはいけない。瓦礫も他県に拡散させちゃいけない。
これらは科学的にまったく根拠のないバカげた言説であるが、バカはバカなりにスジだけは通っている。
だがその一方で彼らは「絆」だなんだと情緒的な言葉を口にし、己の「善人」ぶりをアピールしておくことを忘れない。バカなので論理が矛盾していることにも気づかない。
これを「欺瞞」というのである。

| | コメント (0)

«自覚