蔓延するフェイクニュース 朝日新聞のスクープ記事もなぜか不自然 加計学園問題の文書写真が…

 
お笑い芸人がネット上のデマに苦しめられたという記事を朝日新聞が書いている。
〈そしてネットの情報を疑うこと。知名度の高いサービスでも、情報を書き込んでいるのは匿名の他人であることが多い。たとえばウィキペディアを辞書代わりに使う人も多いですが、ずっと私は自分の項目に『殺人事件に関与』したと書かれていました〉
 
翻って紙媒体の新聞は信用できる、ということだろうか。
そうした通念があるのは事実だろう。そこを通ったことで情報は権威づけられる。大衆はその内容をいちいち精査しない。そんなヒマはない。「権威主義」にはそれなりの理由がある。
 
そんな大衆が主権者であるのが民主主義というもの。
その構造を「権威」ある情報発信者が政治的に利用すれば、とんでもない「暴力」になるわけだ。
「従軍慰安婦強制連行」の誤報(捏造)を見ればいい。
「吉田調書」の誤報(捏造)を見ればいい。
そしてこの「加計・森友問題」にかんする多くのマスコミ報道は、それらに並ぶ最悪のフェイクニュースとして振り返られることになるだろう。

ジャーナリズム

歴史家で文芸批評家のヘイドン・ホワイトは、歴史家の仕事が年代記の中に潜在している〈物語〉を“発見”することにあるという通念に対して、こんな疑問を投げかけているのだそうだ。

『たとえば、年代記に記載された王の死という出来事は、様々な出来事の一要素としてたんにそこにあるにすぎない。王の死が〈物語〉の始めであるか、終りであるか、あるいはまたただの移行にすぎないかを決定するのは、歴史家の判断力、ないしは広義の判断力に委ねられている。歴史家の前にあるのは、年代記の形式に整理されてはいるものの実は怖るべき渾沌(カオス)の状態であり、彼はこの渾沌のなかから語るべき要素を選択しなければならないのだ。
この選択と排除の操作を通じて、歴史家はプロットとしての〈物語〉を編成するのである。』(前田愛『増補 文学テクスト入門』)

ニューアカの残り香を嗅いで育った私には、ものすごくしっくりくる考え方なわけです。
良くも悪くも「相対化」が当時のキーワードで、何につけ「断定」することに躊躇した。不動の「真実」なんてものが、あらかじめそこにポンと“存在”しているわけじゃないんだと。
私は昔を懐かしんでいるわけじゃないんですよ。
上記の「歴史家」を「ジャーナリスト」に置き換えてみればいい。自分では「真実」を「発見」したと思っていても、実は選択と排除の操作を通じてプロットとしての〈物語〉を編成しているにすぎない。そういう自覚があれば、容易に物事を「断定」することなんかできないハズなんです。己の恣意性を排除する意識が働くから。
そのうえで、しかしそれでも語らねばならない、という弁証法的な葛藤が、かろうじて「事実」を確定するんだと思うんですよ。
ソボクな正義感やアツさなんかじゃ「事実」には迫れないことを知っている。そのことを私は「技術」と呼んでいるんです。

森友問題から加計問題 駄々っ子の喧嘩のような低レベルな「国会」 印象操作に興じる「新聞」はもはや社会の木鐸ではない! 作家・ジャーナリスト・門田隆将

『だが、新聞は、いったい何が「総理のご意向」なのかを検証もせず、ただ政権に打撃を与えることに汲々(きゅうきゅう)とし、印象操作のために日々、紙面を費やした。』
『「安倍憎し」の新聞は、国民の感情を煽るだけで、ことの本質に迫る「役割と使命」を自ら放棄したのである。
 自己の主義主張に都合のいい一方の情報だけを伝えて、都合が悪い情報は決して報じない日本の新聞。もはや、そんなものは「新聞」とは呼ばない。』

環状2号線

たとえばNシステムってありますね。これが環状2号線に設置される計画があったかどうだか私は知りません。けれど仮にあったとしたら、警察は蕎麦の出前を頼む感覚でそこらの業者にテキトーに発注するわけじゃないんですよ。(一応)秘密裡に通信網を敷くわけですから。SEは工事の事前準備で現地に足を運んで、塩害・鳥害等の対策なんかもしてるでしょう。
 
受注元の企業は、実際の工事に携わる下請け業者の作業員名簿まで警察に提出させられるハズです。過激派なんかが入り込んだらコトですからね。むろん営業担当者は身元が調べられている。
そうした諸々のことが知事の頓珍漢な「正義の味方」ごっこで全部パーになる。パーにするだけの価値があったんですか?

新聞て何?

平成29年1月30日付で、公益社団法人日本獣医師会会長の藏内勇夫氏はこう書いています。
『私や日本獣医師政治連盟の北村委員長を始めとした本会の役職員は、できれば獣医学部新設決定の撤回、これが不可能な場合でもせめて1校のみとするよう、山本幸三地方創生担当大臣、松野博一文部科学大臣、山本有二農林水産大臣、麻生太郎自民党獣医師問題議員連盟会長、森英介同議員連盟幹事長など多くの国会議員の先生方に、本会の考え方にご理解をいただくよう奔走いたしました。』
「獣医学部新設決定の撤回、これが不可能な場合でもせめて1校のみとするよう」に働きかけたと自らハッキリ書いているわけです。
一部(というか多くの)新聞は、私ごときがアクセスできるこんな情報すら知らずに記事を書いてるんですかね。それとも知ってて知らぬふりをしているんですか? だとすりゃ新聞て何ですか。

«(社説)加計学園問題 閉会中審査が不可欠だ(2017年6月17日 朝日新聞)