2017年4月27日 (木)

よかった?

いいですか。
「地震が起きたのが首都圏でなく東北でよかった。被害額が25兆円で済んだから」
じゃねえんですよ。
「地震が東北で起きて被害額が25兆円にのぼった。これが首都圏だったらこんなものでは済まなかった。まだ25兆円で済んでよかった」
っていってんでしょ?...
なんでこの違いがわからないのかがわからない。だから読書感想文を書けというんだ。
 
むろん口語ではこんなふうに整理して喋らない。主語と述語が捻れたり、重複したり、修飾/被修飾の関係が前後したりもするだろう。
それでもフツーは意味を受け取れる。なぜか? 
文脈やプロミネンス込みで理解するからだよ。「よかった」にプロミネンスなんかねえんだ。
それらを捨象して話者の意図を曲解し、善人ヅラして説教を垂れるマスコミに腹が立つし、そんなもんにまんまとのせられる大衆に呆れ、おぞましさを感じているんだよ。

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すいませんでした?

よく「芝居を観に行けなくてすいませんでした」と言われるが、謝られる筋合いのことじゃない。もしも筋合いなのだとしたら、その「すいません」は「不義理」に対してだろうから、「観に行く」のは「義理」ってことになる。
まあ、実際そういうケースは多々あるけわけで、義理でも何でもいいからチケット買って、ってなもんだけど、嘘でも「行けなくて残念」くらい言えないか。スルーしてくれた方がまだマシだ。

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シニア料金

芝居で学生料金てありますね。いわゆる学割ってやつ。
一般に学生はお金をもっていないから料金を安く設定するわけですが、どうしてお金を持っていないと安く設定するのか。かわいそうだから?
違います。
需要曲線と供給曲線が交わらないつまり定価だったら買わない学生に買わせるため。少ない所持金の中からいくらかでも出させるためです。一千万円の身代金が払えぬ相手に「じゃあ五百万ならどうだ?」という誘拐犯と理屈は一緒。

ではシニア料金てどう説明するか?
やはり「かわいそうだから」じゃないはずです。
金は持っている。けれど年をとると出かけるのも億劫だから、その億劫=コストを金に換えて主催者側で負担しますよ、だから残りの金を払ってくださいね、ということだろう。

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自覚

60年・70年アンポトーソーに対する何のソーカツもなく、むしろそれへのセンチメンタリズムをカツドーの源泉とする者がいることは知っている。独善的な自己陶酔。同類の阿呆が集って愚かさをこじらせる。
そういう愚か者がいたってべつにかまやしないが、税金で食っている国会議員となりゃ話は別だ。
首相の顔を模したマスクをブルドーザーのタイヤで踏みつけたこのデモを好意的に評価し、安倍政権が『「未来に対する犯罪」を犯している』から『支持率はさらに下がっていく』といったこの議員は、己の属する党が「背水の陣ではなく、すでに水中に沈んでいる」状況となった今、何らかのソーカツをしたのか?
決定的に自己相対化の能力が欠如している。そんなことだから「ヘイトスピーチ」を非難しながら、自分のしていることがまさにその「ヘイト」である自覚すらない。

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歪んだ正義感

http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/66459413.html
「歪んだ正義感」や「「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気」で、ノイジーマイノリティのヒステリーが専門家を黙らせた結果、大衆の多くは有意な情報を得る機会を奪われた。
リスクを「正しく」=「適正に」恐れる必要を、この「歪んだ正義感」の持ち主たちは、まるで理解しない。“事実を知りたい”というポーズをとるくせに、決して学ぼうとしない。せいぜい自分の思い込みを補強するのに都合よさげな知識“だけ”を仕入れ、耳目を閉ざす。だから、専門家がどんな情報発信に努めたところで徒労に終わる。
発信器が優れていても受信機がぶっ壊れていたんじゃ話にならないというわけだ。

「「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気」に浸り、場当たり的に善人ぶるから自己矛盾に陥るのだ。振り上げた拳を正当化するために都合良く他人の言説をコラージュするから論理的整合性などありはしない。
たとえば「東京五輪招致」に、放射能汚染を理由に反対の声を上げたその口で、被災地の風評被害を嘆いてみせる。彼らは自ら被災地への差別と風評被害を助長しながら、その自覚がまるでない。自分の論理が矛盾していることにすら気づかない。そうしてワイドショウばりの短絡的な「物語」で「絶対悪」を作り上げ、それを叩くことで溜飲を下げる。そうやって、おのが「正義」を担保しようとする。
上記リンク先の記述にもあるように、一時期、放射線による影響で畸形が生まれたというデマが流された。
そもそも畸形はどんな環境でも一定数生まれるので、それが放射線由来であるというなら、因果関係を示す客観的根拠が示されてしかるべきだ。
だが、そんなものはありはしない。
何が根拠たるかすらも彼らは理解できていない。
ただ放射線の恐怖を強く「印象」づけるのに、出所も怪しいグロテスクな奇形児の写真を利用した。これをSNS等で拡散し、ファナティックに恐がって見せれば、「問題を憂慮する善人」のスタンスで、社会問題にコミットしているとでもいいたげだ。
こういうバカの「お祭り騒ぎ」により、被災地は風評被害による経済的ダメージを受け、また実在する奇形児たちの人権は傷つけられたのだ。そういう自覚があるのイだろうか?
彼らはすぐに動機の純粋性を強調したがるが、仮に動機が“純粋”であったとしても、そんなものは免罪符にはならないのだ。
騒ぎに乗じた者は、「差別」に加担したのだと知れ。

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